はじめまして、宅地建物取引士、原良太と申します。
このたびは、私のトリセツをご覧頂き、ありがとうございます。
私は、不動産売買を通じて、お客様はもちろんのこと、愛知県や近隣地域の未来に貢献できるように努めたいと思っております。
このたびは、私のトリセツをご覧頂き、ありがとうございます。
私は、不動産売買を通じて、お客様はもちろんのこと、愛知県や近隣地域の未来に貢献できるように努めたいと思っております。
また、以下のポリシーで、お客様に対応していますので、どうぞよろしくお願い致します。
不動産売買に対する想い
必要とされるものを、必要とする人に。
私は常に心がけていることに、「売って欲しい」「買って欲しい」と言う言葉は言いません。なぜか?「欲しい」という発想は自分の要望であって、そこにお客様の想いが反映できない気がしています。
全てがそうであるとはけっして思いませんが、信条として「まずはお客様に貢献すること」を大切にしています。結果、「あなたになら騙されてもいい」…そういって貰えるようになるまで、お客様に貢献し、信頼を得ることを重要であると考えています。
騙されていい…ってのは流石に極端ですし、そもそも「騙す」ことでお客様の喜びは得られません。私は不動産売買を通じてお客様の喜びに寄与貢献し、人間的な信頼を得られることを最も大切にしていることが伝われば幸いです。信頼を得るためには、さらに人間性を磨き、経験を積み、様々な情報を得続けていく事が必要と思っています。それら全ての知識や経験がお客様のお役に立てた時、私は初めて充足を得るのではないか、そのように考えています。
私のミッション
愛知県の西側エリアの発展に尽力する!
私が生まれ育った街もふくめ愛知県の西側エリアは、名駅から30分圏内にも関わらず、東側と比較して発展しているとは言いづらい状況だと常々思っています。単純ではない理由があることは容易に想像できますが、不動産業で言えば若手の不動産屋が少ないと考えています。まだまだ若輩ですがベテランの不動産屋さんと手をとりあって若い力を利用していただき地域活性に役立てて欲しいと思っています。
私の夢
一人不動産屋として、全国のお客様お会いしたい
信頼を得るには多くの時間が必要であることは十分承知しています。しかし、私の夢はもし見知らぬ土地にいきなり放り込まれても、不動産屋としてその土地のお客様に十分貢献できるスキルや情報を得てビジネスとして活動できる、そんな高次元なスキル獲得を目指しています。そのためには、まずは目の前にお一人お一人のお客様のご要望に誠実に答えていくことが大切だと考えています。
経歴 - 私のヒストリー
1990年 | 11月21日 愛知県あま市で生まれる | |
2003年 | 甚目寺小学校卒業 南山中学校入学 |
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2003年 | 南山高校校入学 | |
2009年 | 上智大学 神学部 入学 | |
2011年 | 中央大学 商学部経済学科 編入 | |
2013年 | 中小企業専門コンサルティング会社 本社入社 | |
2015年 | 中小企業専門コンサルティング会社 名古屋支社移籍 | |
2021年 | 宅地建物取引士試験合格 | |
2022年 | 株式会社ローカルグッディ設立 代表取締役 就任 |
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2024年 | 株式会社はなみずき設立 代表取締役 就任 |
生い立ち
誕生
1990年11月21日に愛知県あま市に、教師である父と母との間に生まれました。生まれてすぐ門脈閉塞症という肝臓の病気がみつかり手術をしたと聞かされました。もちろんその当時の記憶はなく、いまでも手術痕はうっすらと残っていますが、それを見ると、「生まれた当初から両親や家族に心配を掛けたんだなぁ…」と申し訳ないような不思議な気持ちになります。
幼少期
そんな病気を患った僕ですが、その後すくすくと成長し、それなりに活発な少年時代を過ごしました。この頃はスキーとスノボが好きで、シーズンになると父親の同僚が所有していた邸宅を仮住まいとして、毎日スキー、スノーボードを楽しんでいました。
子供のころの将来の夢がパイロットで、スキー・スノボシーズン以外の週末は毎週小牧空港へ見学に行くほど、のめり込んでいた記憶があります。
中学時代〜高校時代
姉が私立の南山中学に行ってたこともあり、親の意向で、いわゆる中学受験をし、私も南山中学に進みました。その後の進路が、南山高校、南山大学である事が予定付けられた言うことでした。中学時代は部活にタッチフットを選ぶなど活発に楽しく過ごしていたのですが、どうも反抗期というか、このまま高校〜大学まで親の意向通りに進む事に違和感を覚え、軽く不良化。高1段階で200人中189位まで成績を落としました。
高3時に、東京に強く憧れをいだいた私は、東京の大学に行くことを両親と相談。しかし、現在の成績で東京に行く必要があるのか?と詰められ、一念発起。高3の最終試験では200人中24位まで成績をV字回復させて、上智大学への受験、合格を勝ち取りました。
大学時代
憧れの東京で一人暮らしを始まりました。ミーハーと言われればそれまでですが、やはり当時も今も情報や流行の最先端である東京は、見るもの全てが新鮮で、これまでに経験した事のない刺激を沢山受けました。当時、大学は上智大学、学部が神学部と高校がカソリック系だったこともあり単純に神学部へ進んだのですが、東京で過ごすうちに、ビジネスに興味をもち、中央大学の商学部・経営学科へ編入しました。これが後の私にとって大きな意味を持ったことは間違いありません。
原 良太はこんな人間です!
血液型 | 雑な部分と几帳面さが同居するO型 | |
出身地 | あま市甚目寺 | |
チャームポイント | 変わっているやつとしか言われない | |
何をしている時が一番楽しい? | 仕事の話をしている時 | |
好きな手料理 | ネギたっぷりの味噌汁 | |
好きなお酒 | 辛口ジンジャーエール | |
お近づきになりたい芸能人 | 松たか子 | |
好きなテレビ番組・映画 | テレ東が好き | |
休日の過ごし方 | 喫茶店めぐり/空港めぐり | |
周りからはどんな人と言われる? | 変わっているやつとしか言われない | |
最近気になること | 姪っ子の成長具合 | |
今行きたいところ | 温泉(山中湖) | |
最近の悩み | 婚期を逃したらどうしよう | |
この仕事を選んだ理由 | 街の将来を変えることができる |
毎月発行